西暦
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年号
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年
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月日 |
満年齢 |
出来事 |
1867
1868
1869
1870
1871
1872
1873
1874
1875
1876
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慶応 明治 明治 明治
明治 明治 明治
明治
明治
明治
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3
元
2
3
4
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6
7
8
9
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2月9日
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・江戸の牛込・馬場下横町で父・夏目直克、母・千枝の五男として誕生する
・塩原昌之助のもとに養子に出される
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・種痘がもとで疱瘡にかかり、顔にあばたが残る
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・
・
・養父母が不和となり、一時喜久井町の生家に引き取られる
・浅草寿町戸田学校下等小学第八級(現・台東区立蔵前小学校)に入学
・
・養母が離縁され、養母とともに生家に移る
・市ヶ谷柳町市ヶ谷学校(現・新宿区立愛日小学校)に転校
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1879
1880
1881
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明治 明治 明治 明治
明治 明治
明治
明治
明治
明治
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10
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19
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10月
1月
9月
9月
7月
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
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・
・錦華小学校(現・千代田区立お茶の水小学校)を卒業
・東京府立第一中学校正則科(現・都立日比谷高校)に入学
・
・実母・千枝が死去、府立一中を中退、私立二松學舎(現・二松學舎大学)に転校
・
・神田駿河台の成立学舎に入学
・小石川極楽水の新福寺二回に橋本左五郎と下宿
・大学予備門予科(後の第一高等学校)に入学
・中村是公、橋本左五郎らと猿楽町の末富屋に下宿
・腹膜炎のため落第、その後は卒業まで首席を通す
・中村是公と本所江東義塾の教師となり寄宿舎に転居
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1887
1888
1889
1890
1891
1892
1893
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1895
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明治
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明治
明治
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明治
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1月 7月 9月 1月 5月 7月 9月 7月 12月 4月 5月 7月 10月 2月 4月 12月 4月 6月
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・長兄・大助、次兄・栄之助が共に肺炎のため死去
・急性トラホームを病み自宅に帰る
・塩原家より復籍し夏目姓にもどる
・第一高等中学校予科を卒業
・英文学専攻のため本科一部に入学
・正岡子規との親交が始まる
・子規の「七草集」の批評を書き、初めて「漱石」の名を用いる
・第一高等中学校本科を卒業
・帝国大学(後の東京帝国大学)文科大学英文科入学、文部省の貸費生となる
・特待生となる
・方丈記を英訳する
・徴兵を免れるため、北海道後志国岩内郡吹上町に転籍し、北海道平民となる
・東京専門学校(現・早稲田大学)の講師となる
・帝国大学卒業、大学院に入学
・高等師範学校の英語教師となる、校長は講道館創設者の嘉納治五郎
・結核の徴候があらわれる
・松山中学(愛媛県尋常中学校)に赴任
・貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子と見合いし、婚約
・熊本県の第五高等学校の講師となる
・中根鏡子と結婚
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1897
1898
1899
1900
1901
1902
1903
1904
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1906
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6月
5月 5月 1月 9月 4月 11月 4月 1月
4月
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・実父・直克が死去
・
・長女・筆子が誕生
・イギリスに留学
・次女・恒子が誕生
・正岡子規が死去
・第一高等学校講師となり、東京帝国大学文科大学講師を兼任
・三女・栄子が誕生
・明治大学講師を兼任
・「吾輩は猫である」を『ホトトギス』に発表
・「坊ちゃん」を『ホトトギス』に発表
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1908
1909
1910
1911
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1913
1914
1915
1916
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明治
明治
明治
明治
明治
大正
大正
大正
大正
大正
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44
元
2
3
4
5
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1月 4月 6月
12月
3月 6月 2月21日 8月
1月 3月 4月 11月 6月 11月 12月 1月 5月 12月9日
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40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
48歳
49歳
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・「野分」を『ホトトギス』に発表
・すべての教職を辞し、朝日新聞社に入社
・長男・純一が誕生、「虞美人草」を朝日新聞に連載開始
・「坑夫」「文鳥」「夢十夜」「三四郎」を朝日新聞に連載
・次男・伸六が誕生
・養父から金を無心される
・三女・ひな子が誕生
・胃潰瘍のため入院
・文学博士号を辞退
・大阪で胃潰瘍が再発し入院
・
・ノイローゼが再発
・胃潰瘍が再発、北海道から東京に転籍し東京府平民に戻る
・「こころ」を朝日新聞に連載開始
・「私の個人主義」を学習院輔仁会で講演
・「道草」を朝日新聞に連載開始
・中村是公と湯河原に遊ぶ
・芥川龍之介、久米正雄が門下に加わる
・リューマチ治療のため湯河原に移る
・「明暗」を朝日新聞に連載開始
・死去
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