西暦
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年号
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1920
1921
1922
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大正
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大正
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元
2
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5月4日
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・新潟県 現・柏崎市に生まれる
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1928
1929
1930
1931
1932
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1936
1937
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昭和
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昭和
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昭和 昭和 昭和
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3月
3月
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
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・二田高等小学校を卒業
・上京、住み込みで働きながら中央工学校土木科の夜間部に通う
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・中央工学校土木科を卒業、建築技師として自活
・共栄建築事務所を設立する
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1938
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1940
1941
1942
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昭和
昭和
昭和
昭和
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昭和
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19
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21
22
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2月 10月 3月 11月 12月 1月 8月 4月 4月 9月
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・
・応召、満州で兵役に就く
・陸軍騎兵上等兵となる
・肺炎を患い内地へ帰還
・治癒とともに除隊、東京・飯田橋で田中建築事務所を開設
・事務所の家主の娘、坂本はなと結婚
・長男・正法が誕生
・田中土建工業を設立、理研工業などの仕事で急成長
・長女・眞紀子が誕生
・第二次世界大戦の日本の敗戦で滞在先の朝鮮半島から引き揚げる
・進歩党公認で第22回衆議院総選挙に出馬するが次点で落選
・第23回総選挙で新潟3区から民主党公認で出馬し当選
・長男・正法が死去
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1949
1950
1951
1952
1953
1954
1955
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30
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5月
10月
12月 1月23日 4月 6月 6月 11月 4月 5月 3月
11月
7月
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・民主自由党へ参加
・第二次吉田茂内閣の法務政務次官に就任
・炭鉱国管疑獄により逮捕
・第24回総選挙に獄中から立候補し再選される
・建築士法案を提出
・炭鉱国管疑獄の無罪が確定
・議員立法により新道路法成立
・長岡鉄道(現・越後交通)の社長に就任、田中土建工業は閉鎖
・中央工学校の校長に就任(1972年に退任)
・自由党副幹事長に就任、佐藤栄作との関係が深くなる
・衆議院商工委員長に就任
・自由民主党の結党に参加
・
・第一次岸改造内閣で郵政大臣に就任(戦後初の三十代の大臣)
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1959
1960
1961
1962
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1964
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7月 7月
6月
6月
12月
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40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
48歳
49歳
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・
・
・
・自由民主党政務調査会長に就任
・第二次池田内閣で大蔵大臣に就任
・
・
・大蔵大臣を辞任し、自由民主党・幹事長に就任
・社・日本空手協会会長に就任
・幹事長を辞任
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1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
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昭和
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昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
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44
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48
49
50
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5月
11月
4月
7月
10月
5月
6月
7月5日
7月6日
9月
9月29日
12月
5月
8月
9月
10月
10月16日
11月
1月
7月
10月
11月
12月9日
2月
7月27日
8月
12月
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50歳
51歳
52歳
53歳
54歳
55歳
56歳
57歳
58歳
59歳
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・自民党・都市政策調査会長として「都市政策大綱」を発表
・幹事長に復帰
・長女・眞紀子が直紀と結婚、直紀は田中姓を名乗る
・
・第三次佐藤改造内閣で通商産業大臣に就任
・日米繊維交渉が決着
・佐藤派から田中派が分離独立
・「日本列島改造論」を発表
・佐藤派の福田赳夫を破り自由民主党総裁に就任
・第一次田中内閣が成立
・日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問、北京で毛沢東首席、周恩来首相と会談
・日中国交正常化を実現、中華民国は対日国交断絶を発表
・第33回総選挙、自民党議席減、日本共産党が躍進
・小選挙区制導入を提案するが、撤回に追い込まれる
・金大中事件が発生
・西ヨーロッパを訪問
・ソビエト連邦訪問、日ソ共同声明を発表
・第四次中東戦争により第一次オイルショックが発生
・内閣改造、電源開発促進法等で柏崎刈羽原発へ補助金を充てる
・東南アジア訪問、ジャカルタで反日デモに遭遇する
・参議院選挙で大敗
・月刊誌「文藝春秋」に立花隆が「田中角栄研究」を発表し金脈問題を追及する
・内閣総辞職を表明、フォード米大統領が来日
・内閣総辞職、椎名裁定により三木内閣が発足
・
・ロッキード事件が発生
・5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反容疑で逮捕される
・自民党離党、以後無所属に
・保釈
・第34回総選挙、自身はトップ当選するが自民党が大敗、三木内閣総辞職で福田内閣が発足
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1979
1980
1981
1982
1983
1984
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昭和
昭和
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12月
10月
6月
11月
10月
12月
2月7日
2月27日
6月
9月 10月 7月 7月4日 7月29日 10月 11月
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60歳
61歳
62歳
63歳
64歳
65歳
66歳
67歳
68歳
69歳
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・田中が強く支持し第一次大平内閣が発足
・第35回総選挙、自身はトップ当選するが、自民党は大敗、四十日抗争で党分裂の危機
・第36回総選挙、自身はトップ当選、自民党も圧勝、鈴木内閣が発足
・
・田中の全面的な支持を受けた第一次中曽根内閣が発足
・ロッキード事件の一審判決、懲役4年、追徴金5億の実刑判決で即日控訴
・第37回総選挙、自身は圧倒的支持で当選するが、自民党は大敗、田中批判で立候補した野坂昭如も落選
・一連の流れを受け、中曽根総裁が「いわゆる田中氏の政治的影響を一切排除する」と声明を発表
・
・創政会が発足
・脳梗塞で倒れ入院、言語障害などが残り、以降の政治活動は不可能に
・田中事務所が閉鎖
・ロッキード事件控訴審開始、本人は欠席
・関越自動車道が全線開通
・第38回総選挙、トップ当選も越山会などの支持者のみが活動
・竹下登が経世会を旗揚げ、田中派の大半が参加
・ロッキード事件の控訴審判決、東京高裁は一審判決を支持、即日上告
・竹下が田中邸を訪問、眞紀子に門前払いされるが、後に皇民党事件として表面化
・竹下内閣が発足
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1988
1989
1990
1991
1992
1993
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昭和
平成
平成 平成
平成
平成
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63
元
2
3
4
5
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10月 1月24日
8月 12月 7月 12月16日
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70歳
71歳
72歳
73歳
74歳
75歳
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・
・娘婿の直紀が出馬、角栄は不出馬を発表
・政界引退(当選16回)、越山会も解散
・
・中国訪問、眞紀子らが同行
・経世会が分裂
・第40回総選挙、眞紀子が新潟3区から無所属で初当選、自民党は下野し、細川連立内閣が発足
・死去
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最高裁が田中の5億円収受を認定(首相の犯罪・1995年2月) |