西暦
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年号
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年
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月日 |
満年齢 |
出来事 |
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永禄
永禄 永禄
永禄
永禄
永禄 永禄
永禄
永禄
永禄
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3
4 5
6
7
8 9
10
11
12
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・石田正継の次男として近江国に生まれる、幼名は佐吉
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1570
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1573
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1579
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元亀
元亀 元亀
天正
天正
天正 天正
天正
天正
天正
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元
2
3
元
2
3 4
5
6
7
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
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・(父・兄と共に豊臣秀吉に仕官、小姓として仕える)
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1580
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1582
1583
1584
1585 1586
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1589
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天正
天正
天正
天正
天正
天正 天正
天正
天正
天正
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8
9
10
11
12
13 14
15
16
17
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6月
7月11日
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・
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・本能寺の変
・賤ヶ岳の戦い、先駈衆として一番槍の功名をあげる
・小牧・長久手の戦いに従軍
・秀吉の関白就任に伴い、従五位下治部少輔に叙任される
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・(堺奉行、博多奉行となる)
・美濃国を検地
・小田原征伐に参陣
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1590
1591
1592
1593
1594
1595 1596
1597
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1599
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天正
天正 天正
文禄
文禄
文禄 慶長
慶長
慶長
慶長
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18
19 20
元-2
3
4 元
2
3
4
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8月 8月19日 1月 2月2日 閏3月3日
3月10日
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・
・
・文禄の役、増田長盛や大谷吉嗣とともに漢城に駐留、朝鮮出兵の総奉行を務める
・碧蹄館の戦い、幸州山城の戦いに参加
・島津氏、佐竹氏の領国を奉行として検地
・秀吉の命により、秀吉の甥・豊臣秀次を謀反の嫌疑で糾弾する
・近江佐和山領内に十三ヶ条掟書、九ヶ条掟書を出す、京都奉行に任じられる
・慶長の役、国内で後方支援を行う
・小早川秀秋の領地を与える打診を受けるが辞退、蔵入地の代官に任命され名島城を与えられる
・主君、豊臣秀吉が死去、嫡男・豊臣秀頼が家督を継ぐ
・大老・徳川家康の暗殺を企てる
・家康の無断婚姻を糾弾し、大老・前田利家らと家康に問罪使を派遣する
・家康が三成・利家らと誓紙を交わし和睦
・大老・前田利家が病死
・武断派の加藤清正、福島正則、黒田長政ら七将が三成の大坂屋敷を襲撃
・家康の仲裁により和談が成立、三成は五奉行からの退隠を承諾
・家康の次男・結城秀康に守られ、佐和山城に蟄居させられる
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1600
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慶長
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5
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7月
7月12日 7月13日 7月17日
7月18日 8月2日 8月14日 9月15日
9月18日 9月21日 9月27日 9月28日 9月29日 10月1日
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・上杉家の家老・直江兼続らと家康排除の挙兵を計画する
・徳川家康が会津征伐に赴く
・兄・正澄を奉行として愛知川に関所を設置、会津征伐に向かう西国大名を自軍に与させる
・諸大名の妻子を人質とする作戦も、細川忠興の妻の壮絶な最期などを見せられ、中止させられる
・毛利輝元を西軍の総大将として大坂城に入城させる
・前田玄以・増田長盛・長束正家の三奉行連署にて家康の罪状13ヶ条を書いた弾劾状を諸大名に交付
・伏見城の戦い、甲賀衆の家族を人質にとって脅迫、城門を開けさせ伏見城を陥落する
・伏見城陥落を諸大名に伝えるべく、毛利輝元・宇喜多秀家らと連署して全国に交付
・東軍の西上が予想以上に早かったため、大垣城から美濃で食い止める作戦を改め、関ヶ原で野戦を挑む
・関ヶ原の戦い、当初は優勢であるも小早川秀秋や脇坂安治らの裏切りで西軍は総崩れとなる
・三成は戦場から逃走し、伊吹山に逃れる
・佐和山城が落城
・田中吉政の追補隊に捕縛される
・大坂に護送される
・小西行長、安国寺恵瓊らと共に罪人として堺を引き回される
・京都に護送され、京都所司代の監視下に置かれる
・徳川家康の命により、六条河原で斬首される。
・首は三条河原に晒された後、沢庵宗彭に引き取られ、京都大徳寺・三玄院に葬られる |
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(辞世の句) 筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり |