西暦
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年号
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年
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月日 |
年齢 |
出来事 |
1828
1829
1830
1831
1832
1833
1834
1835
1836
1837
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文政
文政
文政
天保
天保
天保 天保
天保
天保
天保
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11
12
13
元-2
3
4
5
6
7
8
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1月23日
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・薩摩国鹿児島城下加治屋町に下級藩士の子として生まれる
・
・
・
・
・
・
・
・
・
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1838
1839
1840
1841
1842
1843
1844
1845
1846
1847
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天保
天保
天保 天保
天保
天保
弘化
弘化
弘化 弘化
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9
10
11
12
13
14
元
2
3
4
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
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・
・月例のお宮参りの際、喧嘩の仲裁に入り右腕内側の神経を切る
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・元服し吉之助隆永と名乗る
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・
・郡方書役助をつとめる
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・
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1848
1849
1850
1851
1852
1853
1854
1855
1856
1857
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嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
嘉永
安政
安政
安政
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元
2
3
4
5
6
7
元-2
3
4
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2月2日
7月 9月 11月 2月 12月
4月
11月
12月 5月 7月 12月 4月 10月 11月
12月
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・
・
・高崎崩れで赤山靭負が切腹
・伊藤茂右衛門に陽明学、無参和尚に禅を学ぶ
・「近思録」を輪読する会を大久保正助(利通)らと結成
(赤山らの意志を継ぐため)
・島津斉興が隠居し島津斉彬が薩摩藩主となる
・須賀と結婚
・祖父・遊山が死去
・父・吉兵衛が死去
・母・マサが死去
・家督を相続、通称を善兵衛に改める
・ペリーが浦賀に来航し攘夷問題が起こる
・斉彬の江戸参勤に際し江戸詰に任ぜられ江戸に赴く
・御庭方役となり斉彬から直接教えを受けるようになる
・硯学・藤田東湖と再会
・貧窮を見かねた妻の実家が須賀を引き取る
・西郷家の家督を継ぎ、善兵衛から8代目吉兵衛へ改める
・越前藩士・橋本左内が来訪し国事を話し合う
・武田耕雲斎と会う
・斉彬の密書を水戸藩の徳川斉昭に届ける
・第13代将軍・徳川家定と斉彬の養女・篤姫が結婚
・参勤交代の帰途に熊本藩の長岡監物・津田山三郎と会う
・大久保正助と共に徒目付となる
・下関の白石正一郎に薩摩の藍玉購入を斡旋
・斉彬の密書を越前藩主・松平慶永に届ける
(橋本左内らと一橋慶喜擁立を協議)
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1858
1859
1860
1861
1862
1863
1864
1865
1866
1867
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安政
安政
万延
文久
文久
文久
元治
慶応
慶応
慶応
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5
6
元
元
2
3
元
元
2
3
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3月
5月 6月 7月 7月8日 7月16日 7月19日
7月27日
8月
9月16日
10月6日 11月 11月 12月 1月 11月 11月2日 11月 11月21日 2月12日 2月15日 3月13日 3月22日 3月29日 4月6日 4月10日 4月23日
6月6日
7月2日
7月
5月 7月 8月
10月
2月21日
3月14日 3月19日 4月 7月8日 7月18日 7月23日 7月24日 8月 9月 10月 10月12日 10月24日 12月27日 1月28日 3月
5月1日
5月9日 5月 5月23日
6月
6月 6月24日 9月16日 9月21日 10月 1月8日
1月
1月 3月4日 3月11日 4月 5月 6月7日
7月9日 7月12日 7月30日 8月21日 9月 3月25日 5月21日 6月15日
6月16日
6月22日 9月7日
9月9日
10月14日
10月15日 11月13日
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・篤姫から近衛忠煕への書簡を携え京都へ
(僧・月照らの協力で慶喜継嗣の内勅を図るが失敗)
・彦根藩主・井伊直弼が大老となる
・日米修好通商条約調印、紀州藩主・徳川家茂が将軍継嗣に
・徳川斉昭が謹慎、松平慶永が謹慎・隠居、徳川慶喜が登城禁止
・斉彬が天保山で大軍事訓練を実施
・島津斉彬が急逝
・斉彬の弟・忠義が家督を相続し、島津久光が後見人となる
・京都で斉彬の訃報を聞く
(殉職しようとしたが月照らに説得され斉彬の遺志を継ぐ決意)
・孝明天皇内勅を水戸・尾張藩に渡すため江戸に赴くが京都に戻る
・再上京し挙兵をはかるが捕吏の追及が厳しく大阪を出航、
下関経由で鹿児島へ
・鹿児島へ帰る、捕吏の目を誤魔化すために藩命で西郷三助と改名
・月照が鹿児島へ来るが藩当局は彼らを東目(日向国)追放を決定
・竜ヶ水沖で月照とともに入水するが西郷は運良く蘇生、月照は死亡
・藩当局は幕府の目から隠すため西郷を免職し奄美大島に潜居
・大久保利通らに後事を託し奄美大島龍郷村に着く
・龍家の一族・佐栄志の娘・とま(愛加那)を島妻とする
・菊次郎が誕生
・見聞役・木場伝内と知り合う
・島津久光からのの召喚状を受け取る
・鹿児島に到着
・生存が幕府に発覚しないよう、西郷三助から大島三右衛門と改名
・久光の人望のなさを主張し不興を買うが、大久保の説得で上京承諾
・村田新八・森山新蔵を伴い大坂へ向けて出航
・伏見に到着、京都焼き討ち・挙兵の企てを止めようと試みる
・姫路に到着した久光が待機命令を破った西郷に激怒
・久光の捕縛命令により鹿児島へ向け船で護送される
・久光が奈良原繁・大山格之助らを寺田屋に派遣(寺田屋騒動)
・西郷は大島吉之助に改名させられ徳之島へ遠島
村田新八は喜界島へ遠島、無処分の森山は船中で自刃
・徳之島湾仁屋に到着、愛加那が菊草(菊子)を生む
・沖永良部島への遠島命令が届く
・弟たちが遠慮・謹慎などの処分を受け西郷家の家財は没収
・沖永良部島伊延へ着く、牢が貧弱で健康を害する
(土持政照が自費で座敷牢を提供し健康を取り戻す)
・長州藩の米艦砲撃事件
・薩英戦争の情報が入ると処罰覚悟で鹿児島へ帰り参戦画策
・天誅組の変、八月十八日の政変
・生野の変
・大久保利通・小松帯刀らの勧めで西郷が赦免召喚となる
(蒸気船胡蝶丸が迎えにくる)
・村田新八を伴い京都に到着
・軍賦役(軍司令官)に任命される
・御小納戸頭取・一代小番に任命される
・徳川慶喜の出兵命令を小松帯刀と相談のうえ断る
・禁門の変で長州勢を撃退、西郷の方針は朝廷を中立の立場へ
・長州藩追討の朝命(第一次長州征伐)
・徳川慶喜が西国二一藩に出兵を命じるとこれに呼応
・四国連合艦隊下関砲撃事件が起きる
・大坂で勝海舟と会談、長州への強硬策を改め緩和策で臨む
・御側役・代々小番となり西郷吉之助に改める
・征長軍参謀に任命される
・大坂で征長総督・徳川慶勝に謁見
・徳川慶勝が出兵諸軍に撤兵命令
・家老座書役・岩山八太郎直温の次女・イト(絲子)と結婚
・上京
・坂本龍馬を同行して鹿児島に帰る
幕府の征長命令を拒否すべしと藩論をまとめる
・大番頭・一身家老組に任命される
・将軍・徳川家茂が勅書を無視し兵6万を率いて西下を開始
・家茂は参内して長州再征を奏上するが許可されず
・鹿児島入りした中岡慎太郎が西郷に薩長の協力と和親を説き、
桂小五郎(木戸孝允)との会談を約束させる
・上京し幕府の長州再征に協力しないよう大久保へ伝え朝廷工作
・京都で坂本龍馬と会い長州の武器購入を承諾、薩長和親
・英・仏・蘭三カ国の軍艦8隻が兵庫開港を迫る
・朝廷が幕府の武力におされ、長州再征の勅許を下す
・徳川慶勝から出された条約に勅許
・上京してきた桂小五郎を伏見に出迎え
・小松帯刀邸で桂小五郎と薩長提携六ヶ条を密約
坂本龍馬が提携書に裏書(薩長同盟)
・寺田屋事件、薩摩藩邸が龍馬を保護
・小松帯刀・坂本龍馬夫妻らと大坂を出航
・鹿児島へ到着
・藩政改革と陸海軍の拡張を進言
・小松・桂らと藩政改革にあたる
・幕府軍艦による上ノ関砲撃が始まる(第二次長州征伐)
・高杉晋作、大村益次郎、奇兵隊らの活躍で幕府軍は惨敗続き
・長州再征反対の建白を起草、藩主名で幕府へ出兵拒否文書
・嫡男・寅太郎が誕生
・将軍・徳川家茂が大坂城で病死
・休戦の御沙汰書
・大目付・陸軍掛・家老座出席に任命、病気を理由に大目付返上
・久光を奉じ、薩摩の精鋭700名を率いて上京
・中岡慎太郎の仲介で京都・小松帯刀邸で武力討幕を議す
(薩土密約)
・山縣有朋を訪問し武力討幕の決意を告げる
・改めて薩長同盟の誓約
(小松帯刀・大久保利通・伊地知正治・山縣有朋・品川弥二郎ら)
・坂本龍馬・後藤象二郎らと会談し薩土盟約が成立した
・久光の三男・島津珍彦が兵約千名を率いて大坂に到着
・後藤象二郎が坂本龍馬案の大政奉還建白書を提出のため
挙兵延期を求める
・土佐藩提出の建白書を見た将軍・徳川慶喜が大政奉還の上奏を
朝廷に提出
・朝廷から大政奉還を勅許する旨の御沙汰書が出される
・兵約三千名を率いて鹿児島を発つ・
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1868
1869
1870
1871
1872
1873
1874
1875
1876
1877
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明治
明治
明治
明治
明治
明治
明治
明治
明治
明治
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元
2
3
4
5
6
7
8
9
10
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1月3日
1月6日
1月7日 2月12日 2月14日 2月28日 3月9日
3月13日 3月15日 4月4日 4月11日
5月15日
6月9日
7月23日 9月27日 11月 2月26日 5月1日 5月18日 6月2日 9月26日 12月 1月18日 7月3日 8月 1月3日
2月8日
4月21日 6月25日 7月
7月14日
11月12日
2月 3月 5月 7月29日 5月 6月 8月 9月 9月15日
9月18日
9月23日
9月24日
11月10日 3月1日
3月 8月 10月24日 10月27日 10月28日 11月
1月28日 1月29日 2月1日 2月4日 2月6日 2月14日 2月15日 2月20日 2月21日 2月22日 3月1日 3月20日 4月8日 4月14日 4月28日 5月31日
6月17日 6月24日 6月31日 8月1日 8月2日
8月10日 8月14日 8月15日 8月16日 8月17日 9月1日 9月6日 9月22日 9月23日
9月24日
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40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
48歳
49歳
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・王政復古の大号令、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)の開始
・徳川慶喜は松平容保らを伴い大坂を脱出
軍艦「開陽丸」で江戸へ退去
・新政府が慶喜追討令を出す
・薩摩諸隊差引(司令官)に任命される
・東征大総督府下参謀に任命される
・東海道の要衝・箱根を占領
・静岡で徳川慶喜の使者・山岡鉄舟と会見し徳川処分案7ヶ条を示す
・勝海舟と会談し江戸城明渡しについての交渉を行う
・江戸総攻撃の命令を受け静岡を発つ
・江戸城に乗り込む
・江戸城無血開城
・仙台藩(伊達氏)を盟主とする奥羽越列藩同盟との東北戦争に臨む
・上野戦争が始まる、彰義隊を打破
・藩主・島津忠義に従って京都を発ち14日に鹿児島に帰着、
日当山温泉で湯治
・薩摩藩北陸出征軍の総差引(司令官)に任命される
・庄内藩、仙台藩・会津藩が降伏し東北戦争で新政府が勝利
・鹿児島に帰着、日当山温泉で湯治
・参政・一代寄合となる、藩政改革・兵制整備を精力的に行う
・箱館戦争の応援に総差引として藩兵を率いて鹿児島を発つ
・箱館・五稜郭が開城(戊辰戦争が終結)
・賞典禄永世二千石を下賜される
・正三位
・藩主名で位階返上の案文を書き、初めて「隆盛」という名を用いる
・参政を辞し相談役となる
・相談役を辞し執務役となる
・太政官から鹿児島藩大参事に任命される
・西郷と大久保は池上四郎を伴い「政府改革案」を持ち鹿児島を出帆
・土佐で板垣退助、大坂で山縣有朋らと会談し揃って東京に向かう
・東京で御親兵の創設を決める
・鹿児島への帰途、東郷平八郎と会い勉強するように励ます
・東京市ヶ谷旧尾張藩邸に駐屯
・内閣人員の入れ替えを始める
・制度取調会の議長となり、委員の決定権委任の勅許を得る
・新官制・内閣人事・廃藩置県等を審議、大久保・木戸らと公私議論
・明治天皇が廃藩置県の詔書を出す
・特命全権大使・岩倉具視、副使・木戸孝允、大久保利通・伊藤博文らが
欧米に出発 (岩倉使節団)
・太政大臣・三条実美、参議・西郷らに留守内閣(留守政府)が任される
・兵部省を廃止し、陸軍省・海軍省を設置
・御親兵を廃止し、近衛兵を設置
・天皇の関西・中国・西国巡幸に随行(7月まで)
・陸軍元帥兼参議に任命される
・徴兵令が実施され、陸軍大将兼参議となる
・板垣退助らと征韓論に対する論争
・板垣退助・副島種臣らが対朝鮮政策の西郷案に同意
・岩倉使節団が帰国、内治優先論が表面化
・西郷の朝鮮派遣が決定するが、木戸・大久保・大隈重信らが辞表提出
・右大臣・岩倉も辞意を表明
・岩倉辞意を憂慮した三条実美が急病となり岩倉具視が太政大臣代行に
・西郷、板垣、副島、江藤新平らが岩倉邸を訪ね西郷派遣の閣議決定を求めるが
岩倉に了承されず
・西郷は陸軍大将兼参議を辞し位階返上を上奏するが、岩倉は西郷派遣延期上奏
・天皇が岩倉の意見を入れ西郷派遣無期延期の裁可を下す
・これを受け西郷が辞職、同調した政治家・軍人・官僚600名余りが大量辞任する
(明治六年の政変)
・下野した西郷は鹿児島に帰着し自宅で過ごす
・佐賀の乱で敗れた江藤新平が来訪
・県令・大山綱良の協力で私学校が創設される
・
・廃刀令
・金禄公債証書条例が制定
・熊本県士族の神風連の乱
・福岡県士族の秋月の乱
・山口県士族の萩の乱
・日当山温泉で決起の報を聞き「起つと決する」とする書簡を桂久武に出す
・政府は鹿児島士族の反乱を警戒し火薬庫の弾薬を運び出させる
・大警視・川路利良らが24名の巡査を帰郷の名目のもと鹿児島に派遣
・山縣有朋が熊本鎮台に電報で警戒命令を出す
・夜中に火薬・弾薬が搬出されるのに触発、私学校生が陸軍の草牟田火薬庫を襲う
・火薬庫襲撃を聞いた西郷が鹿児島へ帰ると身辺警護に駆けつける人数が増加
・中原尚雄を捕え拷問により自供をえる
・私学校本校で大評議が開かれ政府問罪のため大軍を率い上京することを決する
・私学校練兵場で正規大隊の閲兵式
・西南戦争開始
・別府晋介の大隊が川尻に到着、熊本鎮台偵察隊と衝突、西郷も熊本に進出
・熊本鎮台を包囲
・熊本城を総攻撃、乃木希典率いる第14連隊の軍旗を捕る
・田原をめぐる戦い
・田原坂を政府軍に奪われる
・池上四郎が安政橋口の戦いで敗れる
・熊本城の包囲を解いて木山に退、薩軍は中隊に再編成し人吉に移動
・人吉に本営を設ける
・桐野利秋が新たな根拠地としていた軍務所(宮崎)に着き新たな本営とする
・大量の軍票(西郷札)が発行される
・人吉に残った村田新八が政府軍と川内川を挟んで戦いを繰り返す
・村田新八が都城の戦いで大敗し宮崎に退く
・宮崎の戦いで敗れ、薩軍は広瀬・佐土原へ退く
・薩軍が佐土原で敗れ政府軍が宮崎を占領
・退却した西郷は延岡大貫村に着く
・本小路・無鹿・長井村と移動
・長井村可愛に到着
・西南戦争最後の対戦を陣頭指揮するが大敗し長井村へ退く、政府軍は長井包囲網
・西郷は解軍の令を出し、書類・陸軍大将の軍服を焼く
・夜10時頃、長井村を発し、可愛嶽に登り包囲網突破を試みる
・突囲した薩軍が鹿児島に入り城山を占拠
・政府軍が城山包囲態勢を官制
・西郷は城山決死の檄を出す
・参軍・山縣有朋からの自決を勧める書簡を読むが返事を出さず
・午前4時・政府軍が城山総攻撃、西郷・桐野・桂・村田・池上らは洞前に整列し岩崎口進撃
・西郷の最期は諸説あるものの定かではない。
・城山の戦い後、西郷の遺体は山縣有朋の検分の後に手厚く葬られた
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