人物年表  デカルト
 

イデア-idea-  日本史年表  

西暦
月日 満年齢 出来事
1596
1597
1598
1599
1600
1601
1602
1603
1604
1605
3月31日









0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
・フランス西部、ラ・エーに生まれる
・病弱の母が死去する(後は祖母と乳母に育てられる)








1606
1607
1608
1609
1610
1611
1612
1613
1614
1615










10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
・イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学







・学院を卒業しポワティエ大学に進む

1616
1617
1618

1619

1620
1621
1622
1623
1624
1625



11月
4月
10月






20歳
21歳
22歳

23歳

24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
・法学士の学位を受けて卒業
・(学園を離れるとともに「書物」を捨て「世間という大きな書物」の中に飛びこむ決断をする)
・オランダに赴き軍隊に加わる
・イザーク・ベークマンと出会う
・三十年戦争勃発を聞き、参戦のためドイツへ旅立つ
・自身の道を見つけるためウルム市近郊の村の炉部屋にこもる




・(ヴェネチィア、ローマを渡り歩き、ホッブズらと交友を深める)

1626
1627
1628
1629
1630
1631
1632
1633
1634
1635










30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳


・オランダに移住し、本格的に自身の哲学にとりかかる




・ガリレイの地動説がローマ異端審問所にかけられ、自身の「世界論」の刊行を断念する


1636
1637
1638
1639
1640
1641
1642
1643
1644
1645







5月

6月
40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
48歳
49歳

・「方法序説」を公刊する



・パリで「省察」を公刊、「無神論を広める思想家」として非難を受け始める

・プファルツ公女エリーザベトとの書簡のやり取りが始まる
・「哲学原理」を公刊する
・ユトレヒト市がデカルト哲学に関する出版・論議を禁じる
1646
1647
1648
1649

1650





10月
1月
2月
50歳
51歳
52歳
53歳






・「情念論」を公刊
・スウェーデン女王クリスティーナから招きを受けストックホルムに到着する
・女王のために朝5時からの講義を行う(朝寝の習慣あるデカルトには辛い日々であった)
・風邪をこじらせて肺炎を併発し死去



Copyright (C) 2013-2021 Youce Corporation. All Rights Reserved.