西暦
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月日 |
満年齢 |
出来事 |
1917
1918
1919
1920
1921
1922
1923
1924
1925
1926
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5月29日
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・マサチューセッツ州ブルックラインに生まれる
・父・ジョセフ・P・ケネディ・シニア、母・ローズ・フィッツジェラルド・ケネディの次男
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・(生まれつき背骨に障害があり怪我をしやすくしばしば激痛に襲われた)
・猩紅熱にかかる
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1927
1928
1929
1930
1931
1932
1933
1934
1935
1936
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
19歳
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・カンタベリー・スクールに入学
・体調不良となり家に送り返され兄の通うチョート校に転向
・(学校では「モッカー(校則違反者)」というあだ名をつけられる)
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・チョート校を卒業
・ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学ぶが「黄疸」の診断を受け帰国
・プリンストン大学に入学するが、白血病の診断を受け入院
・ハーバード大学に入学(父の尽力によるとされる)
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1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
1946
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6月
9月 7月 4月 8月2日 6月 3月1日
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・ベルリンを訪れる
・ハーバード大学を卒業
・陸軍への入隊を試みるが健康状態を理由に拒絶される
・海軍士官に任官される(父の配慮で戦場に赴かないワシントン海軍情報局に配属)
・海上勤務に転勤
・ツラギ島に配属されパトロール魚雷艇長となる
・日本海軍の駆逐艦に衝突し海に投げ出されるがなんとか小島にたどりつく
・「ニューヨーカー」誌にケネディの英雄譚が掲載される
・退役
・下院議員の補欠選挙に立候補し両親の強力な支援を受け当選する
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1947
1948
1949
1950
1951
1952
1953
1954
1955
1956
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9月12日
1月
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・上院議員選挙に出馬し7万票の大差で共和党候補を破る
・ジャクリーン・ブーヴィエと結婚
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・「勇気ある人々」を出版、ピューリツァー賞を受賞
・民主党全国大会で副大統領候補の候補者となる
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1957
1958
1959
1960
1961
1962
1963
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1月
7月
9月26日
10月
1月20日
4月4日
6月
8月13日
9月
10月27日
2月
5月
10月
10月22日
6月
7月25日
9月
11月22日
11月24日
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40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
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・民主党予備選挙に立候補を表明
・フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr.らから選挙協力を得る
・民主党全国大会で大統領候補に指名される(副大統領候補はリンドン・B・ジョンソン)
・テレビ・ディベートで現職副大統領のニクソンを圧倒する
・マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが逮捕されるが釈放に導き黒人層の支持を拡大する
・マフィアの大ボス、サム・ジアンカーナと知り合い選挙協力を要請する
・第35代大統領に就任
・キューバ侵攻計画の最終会議が国務省で開かれる(ピッグズ湾事件)
・ソビエト連邦のフルシチョフとウィーン会談、ベルリン危機
・フルシチョフが「ベルリンの壁」建設を主導
・「平和部隊」を創設
・ベルリンのチェックポイント・チャーリーでの睨み合いも第三次世界大戦を回避
・南ベトナム駐留のアメリカ軍事顧問団を3千名以上に増加
・南ベトナム軍事援助司令部(MACV)を設置
・南ベトナムとラオスへの支援を目的にタイ国内の基地に海兵隊を送る
・キューバ危機
・キューバ海上封鎖措置を発表
・アメリカン大学の卒業式で「平和のための戦略」という演説を行う
・米英ソ間で部分的核実験禁止条約(PTBT)を締結する
・南ベトナム早期撤収の国内世論に反論
・南ベトナム駐留軍事顧問団を16千人に増強
・テキサス州ダラスで狙撃され死去
・リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行(ウォーレン委員会)とされるが様々な主張が今も混在している
・オズワルドが拘置所への移送途中にジャック・ルビーに射殺される
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