日本史年表
-人物年表-  -西暦・年号・干支・年齢 早見表-
西暦
年号
上皇 天皇 太政大臣
征夷大将軍
出来事
1151
1152
1153
1154
1155
1156
1157
1158
1159
1160
仁平
仁平
仁平
久寿
久寿
保元
保元
保元
平治
永暦

2
3

2

2
3


鳥羽
鳥羽
鳥羽
鳥羽
鳥羽
鳥羽

後白河
後白河
後白河
近衛
近衛
近衛
近衛
近衛 後白河
後白河
後白河
後白河 二条
二条
二条
三条実行
三条実行
三条実行
三条実行
三条実行
三条実行
実行 宗輔
藤原宗輔
藤原宗輔
宗輔 伊通












平忠盛が死去


保元の乱

平清盛が大宰大弐となる
平治の乱、平清盛が熊野詣に出発、二条天皇が六波羅行幸
信西が死去、六条河原の合戦、源義朝が死去、源頼朝が伊豆に配流に
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1162
1163
1164
1165
1166
1167
1168
1169
1170
応保
応保
長寛
長寛
永万
仁安
仁安
仁安
嘉応
嘉応

2

2


2
3

2
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
二条
二条
二条
二条
二条 六条
六条
六条
六条 高倉
高倉
高倉
藤原伊通
藤原伊通
藤原伊通
藤原伊通
藤原伊通

平清盛
花山院忠雄
花山院忠雄
花山院忠雄













平清盛が蓮華王院本堂(三十三間堂)を造営、平盛子が北政所となる
延暦寺の僧が清水寺を焼き払う

平清盛が太政大臣となる
平清盛が厳島神社の社殿を造営

源為朝が自害
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1179
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承安
承安
承安
承安
安元
安元
治承
治承
治承
治承

2
3
4

2

2
3
4
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉
高倉 安徳
松殿基房





藤原師長
藤原師長
藤原師長














平清盛が大和田泊に経ヶ島を築く
法然が比叡山延暦寺を降り念仏を説く(浄土宗のはじまり)

鹿ケ谷の陰謀

平清盛が後白河法皇を幽閉し院政が停止、善光寺焼亡、俊寛が死去
福原行幸、以仁王・源頼朝が挙兵、石橋山、富士川の戦い、頼朝が義経と対面
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1184
1185
1186
1187
1188
1189
1190
養和
寿永
寿永
元暦
文治
文治
文治
文治
文治
建久


2


2
3
4
5

高倉 後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
後白河
安徳
安徳
安徳 後鳥羽
安徳 後鳥羽
安徳 後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽









九条兼実










源頼朝追討の宣旨が下る、平清盛が死去、後白河法皇が院政を再開
平徳子が女院(建礼門院)となる
倶利伽羅峠の戦い、源頼朝の東国支配が認められ官位に復帰
源義仲(木曾義仲)が粟津の戦いで討死、一ノ谷の戦い、公文所、問注所設置
壇ノ浦の合戦で平氏一門が滅亡、安徳天皇入水、守護・地頭、鎮西奉行設置
源義経が頼朝に追われ平泉に逃れる
源義経が安宅関を通過、藤原秀衡が死去

源義経、武蔵坊弁慶が殺害される、頼朝が奥州出兵し奥州藤原氏が滅亡
源頼朝が鎌倉へ帰る、東大寺が再建される、西行が死去
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1192
1193
1194
1195
1196
1197
1198
1199
1200
建久
建久
建久
建久
建久
建久
建久
建久
正治
正治
2
3
4
5
6
7
8
9

2
後白河
後白河





後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽
後鳥羽 土御門
土御門
土御門
藤原兼房
藤原兼房
藤原兼房
藤原兼房
藤原兼房
藤原兼房


(以下略)


源頼朝
源頼朝
源頼朝
源頼朝
源頼朝
源頼朝
源頼朝
源頼朝

源頼朝が公文所を政所に改め、善光寺を再建する
源頼朝が征夷大将軍に就任
曾我兄弟の仇討





源頼朝が死去、13人の合議制
梶原景時の変

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