西暦
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2月15日
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0歳
1歳
2歳
3歳
4歳
5歳
6歳
7歳
8歳
9歳
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・トスカーナ大公国領(現イタリア)ピサで誕生、父は音楽家で呉服商
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10歳
11歳
12歳
13歳
14歳
15歳
16歳
17歳
18歳
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・ピサ大学に入学(医学専攻)
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20歳
21歳
22歳
23歳
24歳
25歳
26歳
27歳
28歳
29歳
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・ピサ大学を退学、家族でフィレンツェに移住
・最初の科学論文「小天秤」を発表する
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・ピサ大学の教授となり数学を教える
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・父・ヴィンチェンツォが死去、家族を扶養する立場となる
・パドヴァ大学の教授となり幾何学、数学、天文学を教える
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30歳
31歳
32歳
33歳
34歳
35歳
36歳
37歳
38歳
39歳
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・ケプラー宛の手紙で「地動説」を信じると記す
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・パドヴァ大学教授に再任、マリナ・ガンバと結婚(1男2女をもうける)
・ジョルダノ・ブルーノがローマ教皇庁により火あぶりの刑となる
・トスカーナ大公の息子コジモ2世の家庭教師を兼任
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40歳
41歳
42歳
43歳
44歳
45歳
46歳
47歳
48歳
49歳
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・教え子のコジモ2世がトスカーナ大公となる
・望遠鏡を製作、天体観測を行う
・木星の衛星を発見「メディチ家の星」と名付ける、「星界の報告」公刊
・ピサ大学教授兼トスカーナ公付哲学者に任命される
・リンチェイ・アカデミーに入会
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・「太陽黒点論」を刊行
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50歳
51歳
52歳
53歳
54歳
55歳
56歳
57歳
58歳
59歳
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・地動説をめぐりドミニコ会修道士ロリーニと論争となる
・第一回異端審問所審査でローマ教皇庁検邪聖省から地動説を唱えないよう注意を受ける
・コペルニクスの「天体の回転について」がローマ教皇庁により閲覧一時停止となる
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・「贋金鑑識官」がローマ教皇ウルバヌス8世への献辞をつけて刊行される
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60歳
61歳
62歳
63歳
64歳
65歳
66歳
67歳
68歳
69歳
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・「天文対話」をフィレンツェで刊行、ローマへの出頭を命じられる
・第二回異端審問所審査でローマ教皇庁検邪聖省から有罪判決を受け、終身刑を言い渡される
・(直後にローマ大使館での軟禁に減刑され、その後アルチェトリの別荘へ戻る許可が出る)
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1月8日
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70歳
71歳
72歳
73歳
74歳
75歳
76歳
77歳
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・最愛の長女ヴィルジニアを病気で失う
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・片目を失明
・両目を失明、以降の執筆は弟子と息子の口頭筆記となる
・オランダで「新科学対話」を発刊
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・死去
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既存の理論体系を盲目的に従うことなく「実験」をもって確かめる手法を採用した |